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Société Auguste Vestris - オーギュスト・ヴェストリスとはどんな人だったのか
  Auguste Vestris


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オーギュスト・ヴェストリスとはどんな人だったのか
2013年5月10日

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オーギュスト・ブルノンヴィル「マイ シアターライフ」より

舞踊芸術家にとって、ヴェストリスという名前は、俳優にとってのギャリック、音楽家にとってのモーツァルトと同じ響きを持つ。この名前はこの時代にあっては非常に有名で、反対者もまた多かったが、劇場史から消えることはないだろう。しかし,逸話を集めたり、物語を欠いたりする人達は、同じ名前の父と息子を混同してしまっている。しかも、実際とはほど遠いイメージを抱かれてしまってもいる。二人は、実に思慮深い芸術家であり、理想の美を求め続け、同時代人に多くの幸と知識をもたらした。
 
ここでは、ガエタノ・ヴェストリスに関する、ノヴェールの記述を参照しよう。フローレンス生まれ。そのあまりの美しさに、パリの舞台に初めて登場したとき、人々は彼を〈アポロン〉または〈舞踊の神〉と呼んだ。絵になるポーズ、腕の動きの美しさ、ゆっくりした足運び等により、恵まれた容姿を前面に押し出す、新しいスタイルのダンスであった。威厳と男らしさのお手本として、ヨーロッパ中の宮廷にひっぱりだことなり、舞台上だけでなく、優雅な立ち居振る舞いや髪型が大流行になった。ヴェルサイユの黄金の間やオペラ座の劇場で、人々は高いお金を払ってでも彼の才能を見ようと集まった。当時のダンスのテーマは神々や伝説の英雄ばかりだったが、ガエタノ・ヴェストリスはそうした登場人物に威厳を与えた。一方で、ノヴェールの改革により、ヴェストリスはそれまでにはお決まりの仮面、小さな樽、大きな羽根をつけた羊飼いの扮装はせずに済んだ。こうして、ノヴェールが教育的な著作をする(1760)一方、父ヴェストリスはダンスを《人類を美しく見せる芸術》と定義してみせた。

『町人貴族』に著されているように。こうした不遜な存在は,敵対する芸術家の中に様々なスキャンダルを生むものだ。そのうえガエタノ・ヴェストリスが強いイタリアアクセントで自分の仕事の重要性を褒めそやすので、人々の注視の的になり、おもしろがられて、彼の言葉は広く知れ渡って、次の世代にも伝わった。

例えば:同時代人の中で偉大なのは、ヴォルテールと彼自身、そしてプロイセンの王だ、と言ったそうだ、とか。

デヴォンシャー公の美しさに感嘆して、《もし自分がヴェストリスでなかったとしたら、自分はデヴォンシャー公だっただろう》と叫んだらしい、とか。

ナポレオンがイタリア遠征で世界を驚かせたとき、狂喜したヴェストリスは、「この男はその栄誉に対して何か特別なものを与えられる価値がある。彼は再び,私の踊りを見るだろう。」と叫んだそうだ。等。

美しく,女性に愛されたアポロンのように、ヴェストリスにいくつかの情事があったとしても驚くには当たらない。その中に、マドモアゼル・アラールがいる。彼女のすばらしい版画が残っている。もう一人、有名なダンサーだったドイツ人のマドモアゼル・エイネルがいた。ヴェストリスは彼女と結婚する。幸せな結婚ではあったが子供に恵まれず,寂しい思いをしていた。そんな時にヴェストリスはあるバレエ学校を見に出かけ、そこで非常に才能に恵まれた9歳の少年を目にする。尋常でない才能に驚き、いったいどこの子なのかと尋ねると、「アラールの子供です。」と答えが返った。「マドモアゼルの子なのか?」「まさにその通りです。」「なんと!私の息子に違いない。おいで、君は父親と同じ道を歩みたいようだね。」

ヴェストリスは、この少年オーギュストを連れ帰り、大事に教育する。その結果、2年後の11歳の年に(1771年)輝かしくデビューする。モーツァルトのように、宮廷で引っ張りだことなり、人々に大切にされる。やがてヴェストリス夫妻は彼を正式に跡継ぎの息子として養子にする。オーギュストの芸術家としてのキャリアは勝利の連続で、モーツァルトより遥かに幸せな事に、彼の祖国は彼に多くの栄誉を与えた。

オーギュストは背はあまり高くなく、父親の美しい目鼻立ちも整った体型も引き継いではいなかった。彼はドウミ・キャラクテールのダンサーで、そういう意味では、驚くべき俊敏さと柔軟性、気質の鋭敏さ、豊かな顔の表情等は彼の踊りにもってこいだった。父親の厳しい学校から解放され、全く新しい様式を創造した。ちょうど、大理石の彫刻の古典的な完璧さに対する鮮やかな色合いの絵画のように。ガルデルのバレエでは、彼はパントマイムの才能を見せたので、同時代の偉大な俳優達からも崇拝された。「放蕩息子」における演技は、中でも代表作と言われる。年をとってから、我々のレッスンの中で、このバレエのシーンを繰り返しやらされた。彼がやってみせると、本当にそこに19歳の若者がいるかと信じてしまうほどだった。

オーギュストは、大金持ちと言わないまでも、かなり裕福な生活が出来るはずだった。けれども、経済観念に乏しく、お取り巻きに囲まれているのを好んだ為に、かなりの額の出演料収入だけでなく、父から受けた遺産までも、手のひらを滑り落ちてしまった。年を経て、ルイ・デュポンのように若くて才能があり、テクニックのあるライバルも現れた。ヴェストリスは《ダンサーのおじいちゃん》と呼ばれることにも我慢しなければならなくなり、最後には、パントマイムの才能と、皇帝の直接の庇護のおかげによってのみ、名声を保つことができた。ナポレオンの失墜とともに、長い間彼を取り巻いていたオーラは消えてしまった。もっとも、連合軍の人達も噂を聞き知っていて,彼の踊りを見たいと望んだ。オーギュストは敵の前で踊ることをよしとしなかった。過去の栄光を懐かしんでみても、その栄光がもたらした財産は浪費してしまった。こうして、上級者にレッスンをして収入を得ざるを得なくなってしまった。

状況は前より悪くなったものの、ヴェストリスはヴェストリス。軽々としたステップや若々しい姿勢は失っても、明るい精神はそのままだった。ヴァイオリンを片手に、自分自身と生徒達を同時に元気づける。たまたま一度くらい皇帝の失墜を嘆くことがあったとしても、年齢をかこったり、自身の才能や過去の栄光を語ることはなかった。

生徒達にとっては、彼の教えはこの上なく貴重なものであり、道を極めたダンサー達、マリー・タリオーニ、ファニー・エルスラー、カルロッタ・グリジ等々はためらいなく彼のもとにやって来て、何か美しいものを教わったり、ちょっとした欠点を修正する為の相談をしたりした。生徒達の性格や芸術面での判断には要求が多かったが、決して批判的ではなく、先入観なく、どんなことでも才能を見いだして奨励した。ヴェストリスはただただ好人物で、決して怒りを爆発させることはなかった。

男性の弟子の中では、ヴェストリスが3人の優秀な弟子の名前を挙げている。長男のアルマン(1825年にウィーンで死去)、ジュール・ペロー、そして読者の寛容を願いつつ、隠さず言うが、オーギュスト・ブルノンヴィル。この3人がヴェストリスの舞踊の原則を最も正しく理解し、また理解させることができる。今やこの大陸には、バレリーナが競い合って優れた力をつけるのにたいして、持ち上げて運ぶ道具やバランスをとる為の支えの役をするだけではない、本当のダンサーは数えるほどしかいなくなってしまったことを嘆かずにはいられない。バレエを見せると言いながら、芸術とはほど遠い,サーカスの見せ物のようになってしまっていた。

私は6年もの間、彼のすばらしい教えを受けることができた。彼もまた私に稽古を付けることを喜んでいた。彼の庇護のもとに私はデビューをし、常に誠意を持って、若い私の踊る作品を全て指導してくれた。私は彼に息子のような愛情を感じており、パリに行くたびに、彼の元に往き、レッスンをした。もちろんそれなりの授業料を支払った、というのも私の敬愛するヴェストリスは、常に窮地に追い込まれていた。彼の最悪の債権者は、かつて彼のもとではたらいた使用人で、今は土地を手に入れて,高利貸しになっていたのだ。

オーギュスト・ヴェストリスは私の父と同じ年に亡くなった(1843年)。二人は同年齢で83歳だった。彼はよく私の夢に出てくる。そして信じられないことに私はその度に、最後のレッスンで100フランを払っただろうかと心配してしまうのだ。